平成の大嘗祭に当たり、その斎行に公費を支出するのは、
憲法に定める「政教分離」規定に違反するとの声が、一部にあった。
実際に訴訟も起こされている。
しかし、原告の訴えは全て斥けられた。
但し、大阪高裁の判決(平成7年3月9日)では以下のように
言及していた。
「大嘗祭が神道儀式としての性格を有することは明白であり、
これを公的な皇室行事として宮廷費をもって執行したことは…
少なくとも国家神道に対する助長、促進になるような行為として、
政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概には否定でき
ない」と。
これをどう捉えるか。
まず同判決は結局、原告の訴えを却下又は棄却している。
よって上記の言及は、そもそも主文判決を導くのに必要ない
(従って厳密には判決理由には当たらない)「傍論」に過ぎず、法的な効力は持たない。
又、「国家神道に対する助長、促進」という認識は
時代錯誤も甚だしい。
というのは、「国家神道」は「1945年(昭和20)の
国家神道廃止令(いわゆる神道指令=引用者)によって廃止」
(『日本史広辞典』)
されたと見るのが通説だからだ
(近年の島薗進氏の異説にも批判が多い)。
とっくに「廃止」されたものを「助長、促進」
するという判断自体が成り立たない。
確かに「大嘗祭が神道儀式としての性格を有することは明白」だ。
しかし、大嘗祭に公費が支出されるのは、
その「神道儀式としての」宗教的意義には一先ず関係ない。
そうではなくて、同祭が(剣璽等承継の儀や即位の礼と共通する)
皇位の世襲継承に欠かせない伝統的儀礼(皇位継承儀礼)である
事実に基づいている。
それは、あたかも宗教的文化財保護への公費支出が、
その「宗教的」意義ではなく、専ら「文化財」としての
(歴史的・学術的)価値に着目して行われ、それが何ら憲法上の
疑義を生じないのと同様だ。
「大嘗祭は…皇位が世襲であることに伴う、
一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、
皇位の世襲制をとる我が国の憲法下においては、その儀式について
国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずる
ことは当然と考えられる。
その意味において、大嘗祭は公的性格があり、大嘗祭の費用を
宮廷費から支出することが相当であると考える」
(平成元年12月21日、政府見解「『即位の礼』の挙行について」)
「大嘗祭に宗教的意義を認めて援助するわけではない。
たとえば東大寺の仏像(の改修)でも、仏像は宗教的なものだが、
文化財としての側面に注目して公金を支出している。
…大嘗祭の公的側面に着目して公金を支出するということだ」
(多田宏内閣首席参事官〔当時〕、
『朝日新聞』平成元年12月22日付)
このように見てくると、
大阪高裁の判決の「傍論」に配慮する必要がないのは明らか。
大嘗祭への公費支出は憲法の政教分離規定に抵触するものではない。
むしろ皇位の世襲継承を規定した憲法が当然予想し、
更に要請する措置とも言い得るだろう。